強く生きる

HiGH&LOWと山田裕貴関連用。本業はオタクです。

あゝ荒野 前編&後編ネタバレ感想

ぴあ映画祭で前後編一気に観てきました。前後編5時間、一瞬でした。本当に。時間や映画館への距離で迷っている人がいれば、頑張って観に行った方が、後から円盤や配信で観てから後悔するよりいいよって強く主張しておきます。もちろん好みは分かれるので誰でも好きになれる作品とは思わないけどものすごい熱量だけはきっと誰にでも伝わるはずなので。映画館の大きいスクリーン、良い音響もだけど、何よりも一人でなく街の中で、他の観客と一緒に観てほしい。わたしはそうやって観てよかった。

ちなみに前編の記事はこちら。

あゝ荒野前編完成披露試写会(ネタバレ感想)

最近の推し事メモ

 

以下、ネタバレありで感想書きますが、後編は新次裕二戦、新次バリカン戦がかなりの分量を占めており、ガチでボクシングの試合です。映画なんだから当然こっちが勝つでしょ、なんてことを思う暇は1秒もありませんでした。ので、観る予定だけど展開知らない方は前後編全て観るまでネタバレというか試合の結果の情報を摂取しないことをオススメします。ついでに観終わった後に我慢してた原作も読んだのでそのネタバレ含む感想は一番下に置いておきます。原作に関しても、もし未読なら映画の後まで我慢した方がいいなと思いました。

あと、一通り推し(裕二役の山田裕貴さんをイマジナリー孫として応援しています)の話をしてから映画全体の話をしているので、もし作品自体の感想を求めてこられた方がおられたなら、そこ読み飛ばすなり、おたくはこういうこと考えてるのかと知見を深めるなりしてください。

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という訳でここからネタバレ感想です。まずは観た直後のtwitterから。

・あゝ荒野、後編終了。自分の中でまだ全然整理がついてなくて、理由も分からないけどびーびー泣いてる。推しが出てなければこの作品観ることはなかったとおもうと、推し、この役を掴み取ってくれてありがとう。

・あゝ荒野、とりあえず明日ぐらいにもっかい前後編観させてほしい。VS裕二戦は正直なところ、新次、裕二に負けるなではなく、推し菅田将暉に負けるな、負けるな、お願い負けないでって観てしまったので、そこは一旦リセットしてからフラットに観たい

・2回目に観ても、やっぱり裕二負けるなって思えたらそれは本当だし。後編公開10月末とか嘘でしょ〜〜〜〜

・どこで観るかは客一人一人が決めるべきで、映画館で観ないのはダメとか高尚ぶる人は大嫌いなんだけど、あゝ荒野は映画館で観てよかった。一人でなく、知らない誰かで満席の劇場で、知らない誰かと一緒に観てよかった作品だと思った。近くでやってないなら、遠出してでも観てほしい。

・裕二、かませだったなあ…バリカン戦への助走なので、作劇上意図的に消化不良なのはしょうがないんだけど、最初狂犬で次に宇宙人で、もう一度狂犬に戻るかとおもったら最後は普通の人だった。言葉で他者とコミュニケーションがとれて、償うこと、忘れること、諦めることを知ってる普通の人だった

推しちゃん〜〜〜 あゝ荒野に出てくれてありがとうな!オーディションらしいけど、勝ち取ってくれてまじありがとう!今日の舞台挨拶でキャスティングの話してたけど、木下あかりさん絡みの話が多かったのでもっと全員の話ききたかったぜ

・ふ…君やよ…君は推しと比較して観ることはなかったんだけど、菅田将暉はなんとなく比べてしまう。狂気の側に思い切り振り切れることができて、しかもそれをファンタジーにできるところが菅田将暉のすごいとこなのに対して、推しは振り切れない、どこか普通の感じが残るしそこが好きなとこなんだなって

推しの泣き顔は捨てられた子犬であああかわいそうなんだけど、菅田将暉の泣き顔はその悲しさもただただ美しくてやっぱわたしのなかで菅田将暉はカテゴリ女優だな〜〜

・あゝ荒野、やる劇場少ないな〜〜でも逆に言えばその分やってる劇場に熱量ある客が集まる訳だから、迷ってる人がいたら頑張って劇場まで足を伸ばしてほしいな…。知らない誰かと同じところで笑い、同じところで息を詰め、同じところで泣いてほしい。多分それが孤独をぶち壊すってことだと思う。

 

これはザム2の時もやってしまったんですけど、まあこんだけ追っかけてればしょうがないかなとも思うんですけど、新次裕二戦は途中から新次と裕二ではなく、山田裕貴菅田将暉なんかに負けないで(事実そう思いながら観てたので失礼を承知で「なんかに」と書きます)、負けんな、勝って、勝てるよ、ぶちかませよ!って思って観てました。まあ負けるんですけど。負けたあと、リュウキ先輩に頭を下げてさくっと裕二エピは終わるんですが、そこを咀嚼する暇を与えずバリカンが新次の元を去る話にいくので頭が付いていけなくてちょっと記憶が飛びました。あと、休憩タイムでぼっこぼこの顔がアップになったときは、とっさに「大丈夫これは特殊メイクだから!」って自分に言い聞かせちゃった。ガチバンもHiGH&LOWもどれだけ血まみれになろうが平気だったのにあれは無理でした。心臓がぎゅって痛かった。前編のとき、推しなのにすげえ気持ち悪いなこいつって思わせてきたところが孫ちゃんの好きなとこだなって嬉しかっただけに、なんか間違った観方をしてしまった気がしてならない…。推し推してる弊害とかどうすればいいんだ。トモゲもニドナツも普通に美笠天智・石田六郎として観てた気がするのになー。この作品最高って思うほど本人のことを考えてしまう。困った。これを書くか、それともなかったことにして「山本裕二」に対して思ったことだけを書くかちょっと迷ったんですけど、基本的にこのブログは未来の自分が読むためにやっているので素直に感じたままを書きます。山田裕貴菅田将暉に試合で負けて死ぬほど悔しかったです!!今すぐリベンジマッチ組んでください次は負けねえし!!!!!

そういえば次は某少女漫画原作作品でまた負けるんでしたね~~~ちくしょう!ちくしょう!でも安堂拓海も次の役も読者の人気的には勝ってるから試合に負けて勝負に勝ってるわけで。勝ってる!よかった!イェー!!そういう話じゃないってのは重々承知してますけど、観客に負けてほしくない、次は勝たせてあげたいって思わせるところはきっと孫ちゃんの魅力なんだと思っておきます。たまには完全勝利が観たい…おばあちゃん、闇金ドッグス2を観ようね。

結局、裕二は僅差での判定負けでした。でも試合中、煽ってくる新次に「ボクシング!ボクシング!」と怒鳴るところでああ負けたなって分かっちゃいました。裕二は自分の信念を持ってスポーツをしようとしたし、新次は自分の魂を賭けて喰い合いをしようとした。理性を伴う信念は、生きるための捕食には勝てない。そりゃそうだ。そこまでは本当に裕二が勝つ展開もあると思ってたんですが。明確に気持ちで負けてたので判定負けという消化不良さが不思議としっくりきました。裕二は新次ほどには憎みきれなかった。かつては相手を半身不随にできるほどに振り下ろせた憎しみが、3年の間に擦り切れて、代わりに後悔だとか新しい家族だとか色んなものに置き換わっていって、ごくごく普通の人間の顔になってました。物語はそこからそういう当たり前の人とのつながり方ができないバリカンと新次の話に反転していくので、裕二の役どころはそれで完璧にまっとうしたんだってのは頭では理解できるんですけど、やっぱり新次と裕二の対決でラストバトルな世界線も観たかったです。実際にはバリカン戦で大号泣だったし、わたし脳内会議を開催したら判定勝ちでバリカン戦に軍配があがるんですけど、それぐらい裕二戦の熱量もすごかったです。悔しい。悔しいなあ!!

最後のリュウキ先輩にくしゃくしゃの顔で頭を下げるところ、それを半分受け止めて半分受け止め損ねたようなリュウキ先輩の表情、なんのセリフもないのにすごく雄弁でした。そこでばっさりぶった切られて次のエピソードにいってしまうので、別にあのシーン以上の描写は要らないんですけどあそこで3分休憩欲しかった!タイム!おばあちゃんだからゆっくりよく噛まないと消化できないの!放心しながら、もし自分がリュウキ先輩の友人で、裕二を憎むべきか許すべきか迷っていると相談されたら、別に許す必要はないけど、許したい気持ちがあるなら許したほうが幸せになれるんじゃないかなって答えるな…とかぼんやり考えていました。「そのほうが幸せだよ」ってすごい言葉だ。わたしは「普通」の人間なので当たり前に使うし、言われてもその通りに理解しますが。前編の感想で、新次から見た裕二が宇宙人の顔をしていたって書いたんですけど、逆に裕二からみた新次の顔ってどんなだったのかな。
菅田将暉はほんと素直にすごいなって思うんですけど、その菅田将暉のすごいところを考えると自分が山田裕貴のどこが好きなのかはっきりした気がします。やっぱり常に矛盾をはらんでいるところ。菅田将暉が屈折率ゼロの完璧な透明かもしくは完全な漆黒だとしたら、光でも闇でも不純物を含んでぼんやりしているところ。菅田将暉は、どんな感情の発露も良い意味で記号的で純度が高くて根源的で、わたしの中にもこの感情と同じ何かがあるのかもしれないと思わせるのに対して、山田裕貴には迷いがあって、どんな怒りや孤独の中にも、どこまでも地に足のついた、崖から飛び降りることのできない寂しさがあって、わたしも同じだって、ちょっとボタンを掛け違えていたら同じ立場になってたかもしれないと思わせるところ。菅田将暉が人間の中にある尖ったひとつを純粋培養したなにかなら、山田裕貴は人間まるごと全部。伝わるかな、伝わってくれこの感じ!裕二、負け試合のあとは奥さんと一緒に家に帰って、その日はご飯食べないかもしれないですけど、ちゃんと日課のトレーニングはこなしてから寝るし、次の日の朝はちゃんと起きてちゃんとご飯食べると思うんですよ。前日の悔しさを反芻しながらも、赤ちゃん抱っこしてあやして、そのかわいさにちょっとほっこりしたりしてるんですよ。どうしようもなく普通で、生活とつながっていて、映っているところの前にも後ろにも人生があって、そこにいつもすこしの寂しさがあるところが好きなんだなあ。

一通り孫ちゃんの話したので本編の話をします。最後の新次バリカン戦は途中からただひたすら泣いてました。間違いなく新次でなくバリカンに泣いたと思うんですが、何がそんなに悲しかったのか、それとも辛かったのか、ここ数日考えても自分でもよく分からない。自分は結構「喪失」に弱くて、そういうシチュエーションにはがんがん泣いてしまうんですけど、あゝ荒野はそれとはちょっと違うし。ものすごく雑に評してしまえば後編の終盤はほぼ映像の強さでゴリ押しなんですけど、それとヤンイクチュンさんの訥々としたモノローグの強さかなあ。今気がつきましたけど、この作品、モノローグがあるのはバリカンだけですね!?新次、一言もなかった気がする…。多分、悲しいとか寂しいとか自分の孤独に気付いたとかそういうことじゃなくて、単純に画面から受け取ったものが自分の容量を超えちゃってあふれた分だけ泣いてたってのが一番近い気がします。この映画が言いたいのはネオンの荒野、街の人ごみ、肩がぶつかってひとりぼっち*1ということではなく、孤独が、孤独をぶち壊すだけのエネルギーを生めるんだっていう人の強さなんだと思いますし、ただそれがあるだけで割と色んなこと何にも解決も決着もせずに終わるんですけど、でも人生ってそういうもんだし。

バリカンに去られ、芳子に去られた新次が孤独に泣くシーンがあったんですけど、不思議と寂しさは感じなくて、ものすごく美しかったです。菅田将暉は女優だ女優だって言ってますが、ほんと生命のミューズでした。バリカンやその他大勢の人を魅了するほどに。
新次とバリカンの試合、最初そこに裕二とリュウキ先輩いないのかってちょっとがっかりしたんですけど、この二人はお互いと向き合う覚悟を決めたのでいなくて当然なんですよね。集まってきた人たちは、それぞれ何かしら向き合うことから逃げてきた人たちばかりで、だからラストシーン、控え室で待つ新次の美しい目はご褒美なんだと思いました。火の鳥における火の鳥みたいな、梯子登った先にあるyesみたいな。最後、こっちをまっすぐに見返してくる新次のカットで終わるんですが、あれを見ることができるのはバリカンかもしれないし芳子かもしれないし京子かもしれないし片目かもしれないし、スクリーンのこちら側の観客も含めたあの試合に向き合った全員なのかもしれない。

エモいことばっかり語っちゃいましたが、それ以外だとボクシング、全然知らないんですけど普通に見てみたくなりました!試合パートが本当にガチ試合ですごかった。応援上映っていうか、サイリウムやうちわは不可で発声上映やってほしいです。応援上映の楽しさってマスゲーム大喜利的楽しさと、ライブ感の2種類あると思うんですが、あゝ荒野で感じたいのはライブ感のほう。映画って普通は黙ってみるもので、一方、声を出してみるものといえばスポーツの試合のようにその後の展開が分からないものなので、映画をみながら声を出すという行為により、脳がこれは現在進行形で起こっているなにかなのだって勘違いするんですよね。HiGH&LOWでいうともしかしたら今回はタツヤさん死なないかも、キリンジ勝てるかも、みたいな謎の錯覚感。今日は裕二勝てるかもって錯覚したい!勝てるよ!もちろん前編後編一挙もやってほしい。前編初日舞台挨拶2回とか、後編が観たすぎて死んでしまうからとんだ苦行です。絶対に両方入るけどな!前編の2週間後に後編ですけど、両方観れる期間はあるのか…ないにしても新宿バルトあたりがオールナイト一挙やってくれると信じてます。ていうかやってくれって声めちゃくちゃでるでしょ~。よろしくお願いします!

2回も同じことツイートしてるぐらいなんですけど、本当にぴあ映画祭で観てよかったです。舞台挨拶通うようになって感じるんですけど、郊外シネコンでのまばらな客席と違ってすごく熱量があるんですよね。みんな同じところで声出して笑うし、同じところで泣いてるのがわかったし、試合シーンはもうみんな緊張してるのが分かって、あの張り詰めた空気の中で観れてよかった。こんなにも孤独のことを描いた話だったのに、見終わった後に孤独感を感じないんですよ。むしろ孤独じゃないって思えた。いつもどおりぼっち参加だったけど!ネオンの荒野の孤独がテーマだけど、やっぱりわたしは都会が好きだな。たとえ全然知らない誰かであっても、同じものをいいと思える人が確かにいるってことはステキだ。

 

ここからは原作ネタバレありの話をします。

そうだろうなとは予想してたけど、原作とは全然話が違っててびっくりした。よくもまあこの原作からあの5時間を作ったな。監督ありがとう。あと山本裕二*2を生み出してくれてありがとう。なお、原作では二代目はボクサーを愛する同性愛者です。映画観ながらこの人はどっちなんだなんなんだなんでこういう雰囲気なんだ…と困惑したであろうみなさん、すっきりしてよかったですね。わたしはすっきりしましたやっぱりかよ!ちなみにこの映画の三大つっこみの残り二つはあのメガネ生でしてたんかい!と人の店ですんなよ!?です。片目〜〜!「振り返れば夢だらけ」とかもうめちゃくちゃに良かっただけに人の店でしたのだけは絶許。そういう雰囲気ってわかっちゃうし、もしわたしが楕円の常連だったら飯がまずくなるじゃん…。家でやれ、家で。
あとがきから引用します。

"歌謡曲の一節、スポーツ用語、方言、小説や詩のフレーズ。そうしたものをコラージュし、きわめて日常的な出来事を積み重ねたことのデペイズマンから、垣間見ることのできた「もう一つの世界」そこにこそ、同時代人のコミュニケーションの手がかりになるような共通地帯への回路がかくされているように思えたからである。"
あゝ、荒野 (角川文庫)』(寺山 修司 著) より

話こそ全然違うんですけど、この手法に関しては全く同じだし、テーマも同じでした。ただ、ラストは真逆。原作ははっきりと二木健二の死亡診断書で終わってました。死因もボクシング試合中の頭部打撃とはっきり書いてある。それはそうなるだろうな、と思いつつ読みました。ぼかしてあるので触れるのは野暮かもしれませんが、その後の試合も割と楽しげに続行されてること、死体の側に誰もいないことから死んだのはバリカンでないことがわかる。あと、なにより原作では八十九で終わるバリカンのカウント、映画では九十に到達してるんですよね。(確かに九十を聞いたはずなんですが、記憶違いだったらすみません!)そこに気付いた時、バリカンは生きて、あの控え室で待つ新次の顔を見たんだなって確信できました。ぼかしたのは原作への敬意かな。刊行が1966年、戦後21年ってどれぐらいの感覚だったんだろう。でも三島由紀夫の自殺より4年も前なんですよね。この時代はまだ、滅びの美学的な共通認識があって、幸せな自殺というものが存在したのかな。身近な人間が自死しても、潔く死を選んだのだと受け止める価値観が残ってたんだろうか。原作のバリカンの自殺は肯定的に描かれている、とわたしは感じました。その時代のことはわたしには分からないのでコメントできることはないです。翻って、今の時代にこの作品を映像化するに当たって、バリカンを自死させなかった監督の選択は超支持したい。人間、生きてこそだよやっぱり。

最後に、映画に関係ないですが死ぬほど分かりみしかない寺山修司と仲良くなれるって思った原作の一節を引用しておきます。わたしが孫ちゃんで一番好きなところはもちろん顔です。

"大体、俳優の顔が「丈夫で長持ち」などしてたまるもんだろうか。いつこわれるかわからないから、人は俳優の面をしみじみと愛するのではないだろうか"
あゝ、荒野 (角川文庫)』(寺山 修司 著) より

*1:このフレーズどこまで通じるか謎ですけどこないだトモゲ挨拶で孫ちゃんが微笑みの爆弾~!といっていたので26歳男性までは通じると信じて書きます

*2:なんと原作にはいないオリジナルキャラでした。元ネタすらなし!