強く生きる

HiGH&LOWと山田裕貴関連用。本業はオタクです。

映画「あの頃、君を追いかけた」日本版の良いところまとめ(ネタバレあり)

無事公開されまして、台湾版と台湾版原作小説も読みました。初見時の感想はこっち。あまりに日本版で変なところが多くて、きっと台湾版をそのままやってるせいだろうと推測してて、台湾版確認したら事実その通りで納得したんですけど、それ以上に驚いたのが日本版、細かいところをめちゃくちゃ変えて来てるんですよ!特にメインのキャスト二人に寄せるための細やかな演出が相当いい。
日本版で特におかしい季節感について、インタビューや舞台挨拶で「時間や場所を特定しない為の意図的な演出」だと結構補足してくれてるんですけど、意図的にやったことかどうかと、それが観客に伝わる表現になり得てるかどうかは全く別の問題なので、いくら言われてもふーんとしかならないんですよね。なので日本版で変えたところでわたしがいいじゃん!ってなったところを勝手に書きます。日本版を観て、ちょいちょいある変なところを理由に全編細部にいたるまで台湾版そのまんまなんだろうなって察した人(わたしもそう)はぜひ台湾版も観て変えてるところにびっくりしてほしい。Gyaoで無料配信してます!

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twitter所感から。以下ネタバレありです。

・キミオイ台湾版おわ。なるほどさすが台湾で大ヒットしたのも納得の出来だった…一方で日本版で改変されてる部分は、メイン二人の人となりや関係性を、演じてる二人に寄せることに相当丁寧に注力していて、それはとても成功してる。ここまで丁寧に良改変できるならなぜ季節感無視した~!

・一歩踏み出せなかったのは、コートンは自信家だから、浩介は自分に自信がないからだし、チアイーは割とシンプルにコートンのことが好きで、真愛ちゃんは自分と同じものを感じたから浩介が好きだったようにみえる。最後、真愛ちゃんは想いが残ってるけどチアイーは完全に吹っ切れてる。女って残酷だわ

・台湾版チアイーは優等生なんだけど、血も肉も体温もあって、ぶっちゃけゲザればやらせてくれそう感があるんですけど、日本版真愛はもっと触れたら消えて無くなってしまいそうな絵に描いたマドンナ感がある。それ往年の角川映画とか原田知世ちゃんとか好きなおじさんには響くと思うんだわ~

・最終候補の中からコートン役を決めるに当たって、チアイー役の女優さんにこの中で誰を好きになりそう?って選ばせて決めたらしいんだけど、すごい納得した。
あれはねえ、理由なく好きになっちゃうよね…推しちゃんにああいう理由なきモテオーラはない…真愛ちゃんが浩介を好きになったのはシンパシーだし理由と理屈がある。あるから思い切って踏み出すこともできなかったし、あるから最後まで気持ちをすっぱり切り替えることもできなかったんだろうなあ…

・日本版、仲間がみんな何者かにもなってるのがちょっと引っかかっていて、もう大人のわたしはそこは台湾版の方がいいなって思ったんだけど、だけど齋…ちゃんのファンの若い子がいっぱい観てくれるだろうことを考えると日本版の展開にした気持ちはめっちゃ分かるな

■メインキャスト二人への当て書きがすごい
これ!とにかくこれ!ここがものすごく丁寧に細やかに軌道修正されてて、結果的に台湾版と日本版でそれぞれ別の味わいになってる。山田裕貴クー・チェンドン齋藤飛鳥ミシェル・チェン。似てはいる、似てはいるんですけどでも全然違うんですよね。山田裕貴に関してはそれなりに見てると思いますが、他は全然なので完全にこの作品の印象だけで語りますが、クー・チェンドンのコートンは多分モテるし、ミシェル・チェンのチアイーは全然深窓の令嬢じゃないんですよ。
台湾版のコートンはめちゃめちゃかっこよくて、台湾で世に出た時きっとリバー・フェニックスとかジェームス・ディーンとかSWEP2のヘイデン・クリステンセンみたいと評されたのではと思うんですけどいや知りませんけどわたしなら絶対言うんですけど、これ系の肥大した自我で世界を飲み込もうとする傲慢なイケメンオーラがある。うーん好き。両方とも世界の中で居場所がなくて反抗するタイプですけど、クー・チェンドン無人島に行っても世界に反逆するタイプなのに対して、山田裕貴無人島に行ったら寂しさで死んじゃうタイプだと思います。そこが山田裕貴のサビです!チアイーのミシェル・チェン(恐ろしいことに当時既に28歳ですってよ奥さん!)は知性があってすっごくかわいいんですけど、ちゃんと血と肉と体温があって、手を握ったらちゃんと質量を感じられそうだし、それだけに握っていないとどこかへ行ってしまいそうなしたたかさもある。齋藤飛鳥ちゃんはどこか概念的というか、絵の中で窓の奥にたたずむ非実在美少女感がある。あるいは、古いアルバムの中で微笑んでる人のような遠さ。見る者の願望を月のように受け返してくれるけど、でも絶対に手が届かない物語の中の人。話の流れこそほとんど同じなんですけど、このキャストの差異に合わせて、日本版は細かく設定や演出が変えてあって、それにより二人の距離感も関係性もラストの印象も全然違うものになってました。
台湾版はそもそも二人がはっきりお互いに好きなことを分かってて驚きでした。コートンは自信家でふてぶてしくて、女の子は好きだしモテたい。だけど自信家ゆえにそれがへし折られることが怖くてチアイーに付き合ってくれと言いだせない。チアイーは町医者令嬢ではなく、台湾らしいごちゃっとした団地住まいのおせっかいなお姉さんだし、自分がモテることも、コートンが自分を好きなこともちゃんとわかっていて、ただコートンと一緒に居ていいのか迷ってる。台湾版でチアイーが不合格になるシーン、泣きじゃくるチアイーは相手の告白の気配を察して「今、好きって言わないで」といい、コートンは彼女の背中を撫でるしかない。お互い勇気もないんだけど、それ以上に運命のいたずら感が強い。チアイーが不合格にならなければ、あるいは風が吹いてランタンの文字が見えていれば。最後の結婚式、チアイーは1ミリもコートンに未練がなさそうに見えます。女って残酷!コートンへの恋はアルバムの1ページにして、綺麗に笑いながら別の男のところにお嫁に行ってしまった。台湾版のラストに感じるのは確かに一度手が触れて、だけどその手をつかみ損ねたほろ苦い後悔と、手に残る温かな体温でした。
日本版の浩介と真愛は、台湾版の二人に比べてずっとずっとシャイで自分に自信がない。モテとかそういう言葉はそもそも辞書になさそう。相手が自分のことを好いていると察していても、自分がそれに値する人間かわからなくて、好かれているという感触さえ見失いがち。だから踏み出せない。今告白しないでなんて現実の言葉は言えないし、そんな真愛に浩介は触れることすらできない。もう断然日本版の方が八割増しぐらいでもどかしい。でもそれがキャスト二人の持ち味にぴったりでした。好みは人それぞれといいつつある程度の国民性はあるので、その点でも日本人向きかも。ラストも、真愛はまだすこしだけ浩介に気持ちが残っているようにみえる。チアイーが残ってたら生々しいんですけど、真愛はおじさんのロマンが入った永遠のマドンナだからそれがいいんです。浩介は真愛の手に触れることすらなく、涙一粒だけ残していなくなってしまう。ここがもう昔の文学やその映画化っぽいし、前回の記事にも書いたんですけど、原田知世ちゃん感がある。手の届かないいつ思い返してもずっとずっと美しいマドンナ。台湾版はまさに結婚式当日にエンドマークが付くんですけど、日本版はさらにもっとずっと年月が経過して、あの日の君は綺麗だったなあ、って思ったその時にエンドマークが付く感じ。その手に入れられなかったものをいつまでも惜しむ切なさは山田裕貴がとても持っているものだし、このキャストに寄せるための改変は本当に丁寧にやってくれたなあって思います。
■詩子がかわいい
かわいい。ちなみに台湾版だと詩子ポジは浩介の幼馴染でもなんでもないチアイーの親友で実在のブログの女王らしくて二重にびっくりした。コートンほどの分かりやすい強烈さはない浩介の魅力を詩子の存在が補強してる。なお舞台挨拶でのQ&Aによると、浩介がチャンドラーの長いお別れを読んでいるのはやはり詩子の影響だそうです。*1あと割とどのキャラも言葉づかいにおじさん感があふれてる日本版において、詩子→たぁこという妙に昭和っぽい名付けセンス、良い。真愛が付けたんだなって感じする。

■ランタンに書かれた文字が日本語で良い
台湾版の方が良くない、としてしまうのはあまりにもひどい理由なんですが…真愛・チアイーがランタンに何を書いたのかが分かるシーン、ここがこの作品の一番の巧いところなのは満場一致だと思うんですけど、やっぱり台湾版は台湾語で書いてあるので、文字を見て→翻訳を読んで、のコンマ数秒のタイムラグを自覚した瞬間、日本語版を先に観て良かったなって思いました。このすばらしいシーンを字幕を挟まず直接理解できるというだけで日本版を作った価値はある…。また、台湾版は「好。在一起(字幕:いいわよ、付き合うわ)」なんですよ。台湾版はお互い好き合ってることは自覚してたのでそれでいいんですけど、でも日本版の真愛の「好き」の方が、付き合ったり結婚したりといったその先の具体的な未来を含んでいなくて、ただただ「今、浩介が好き」って気持ちがあふれててわたしの脳内のおじさんはそっちの方が好きだしロマンチックだって言っていました。

■おじさん向け度がすごい
真愛にはおじさんのロマンが入ってるって話したんですけど、日本版はヒロインに限らず全体的におじさんのロマンチックフィルターがかかってます。ともすればおじいちゃんフィルターかも。台湾版は仲間たちのほとんどが平凡な未来に進むんですけど、日本版はみんな何者かになっていて、もう大人のわたしはそこは断然台湾版の方が好きですが、でも乃木坂のファンの10代の男の子女の子も観てくれる前提で作られてると考えると、わたしのなかのおじいちゃんがその子らには綺麗な嘘を見せてやって欲しいんじゃあ〜っていうんでこれでいい。割とよくおじさんの作るものにロマン溢れすぎじゃ〜〜〜って言ったりするんですけど、そう言いつつ本当はめっちゃ好きなんですよ…へへへ。監督が結構年配の演劇人からの方でなんと奥様が女優だそうで、そういう女優を嫁にもらっちゃうようなタイプの人が撮る女優映画に弱いんだ。台湾版はもっとあけすけな感じなので、ロマンチック求めてるおじさんおじいちゃんはふわっと遠き日の美しき思い出フィルターがかけられてる日本版の方が向いてると思います。公開されて、一通り出演者のファンが観たところでちゃんとその層に観てもらうターンなのかな?って思うので、ちゃんと届くといいなー!昔文系アイドルが好きだったおじさん、齋藤飛鳥ちゃんはいいぞ。

■おまけ:台湾版の作者兼監督がすごい
これ、日本版の話関係ないんですけどすっっっごい驚いたので語らせてください。先に小説があって、それを原作者が脚本・監督で映画化した作品なのでてっきり小説と映画はほぼ同じだと思ってたんですけど、読んであまりの小説→映画の改変の巧さに遠征中の新幹線の椅子からひっくり返るかと思いました。登場人物、話の流れ、見せ場、そしてテーマすらおそらく違う。小説版がおそらくは10代の、あの頃まっさかりの少年少女に向けて、「どんな失敗も報われない努力も実らない恋も叶わない夢も、別の何かを結実させることができる、だから勇気を持ってやらずにはいられないことをやりなさい」というテーマなのに対し、映画版は28歳↑の、作者兼監督と同年代以上の、あの頃を振り返ってみる年齢の人達に向けて、「色々あったけど全部美しかったよね」って郷愁を誘うものになってる。twitterでいくつか小説→日本版映画の順にみて、小説の方が面白かったっていうの感想を見かけてこっそりのぞいたら、見事に若い方(推定)だったのでひえってなりました。
カットしたとこ、追加したとこがうますぎてもはやどれが現実にあったことなのか全部作者の創作なのかもわからないんですけど*2、文字で読んだら面白いけど映像だと微妙そうなところはばっさり捨ててあるし、ランタンと結婚式、映画版の2大すごいシーンは原作小説にないんですよ。それ以外も言葉や感情の動きは同じだけど、起きた出来事は全然違う。言葉が素敵な箇所はそれにふさわしい舞台に場所が移動してる。信じられない…。ギデンズコー監督は映画作る天才だと思います。この一作に限って言えば作劇力とかっこいい映像を作る能力とドラマチックな演出をする能力、全部持ってる。この↓インタビューすごい面白かったです。漫画を描ける人は映画を作れると言われていて、以前宮部みゆき先生も同じこと言われてたと記憶してるんですが、ほんとそれな~!って思います。映画を面白く作れる人は面白い漫画も作れると思うので、漫画も描いてください。嘘。もっと映画撮ってください。あと日本の漫画実写化やってみてほしい。そして孫ちゃんを出して欲しい。

OUTSIDE IN TOKYO / ギデンズ・コー『あの頃、君を追いかけた』インタヴュー

余談ですがこのインタビューによるとMV撮ってる人がカメラマンだったそうで。台湾版の下ネタシーンのカットを嘆いている方も多いみたいですが、台湾版のそれはMVの感覚があるスタッフでないと撮れない映像だと思うからそうじゃない日本版はばっさりカットで良かったと思います…日本人、そこまで下ネタ好きじゃないし。海外の人と仕事することも多いんですけど、アジア圏の人、信じられないくらい下ネタ(エロも汚い方も)好きだから驚くよ…。
なお、あの頃~の次の監督作「怪怪怪怪物!」がちょうどまさに今月末の10/26より、シッチェス映画祭コレクションという形で公開されるそうです。絶対観に行く~~!

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*1:孫ちゃん解釈だと詩子から借りたもの、監督解釈では浩介が自力で入手したものと分かれており、監督曰く正解はないので経緯や二人の関係をどう受け取るかは観客それぞれの感じ方で良いとのこと。

*2:恐らくは小説版の方が現実に起きたことに近いとは思います。