強く生きる

HiGH&LOWと山田裕貴関連用。本業はオタクです。

ずっと好きでいられるという幸運

前回の記事にスターありがとうございます。自分がそういう気持ちでつけることもあるので、元気だしなよってスターだと勝手に思ってます。ありがとうございます!仕事であーってなったときの2大おまじないとして「人を変えるのは不可能、自分が変われ」と唱えるようにしてるので*1、できるなら髪を一晩で生やす魔法の使い手になりたいところですが、ちょっと難しそうなのでとりあえず向こう一ヶ月半、世界で一番坊主頭が好きな人間になることにしました。それなら一番好きな髪型のjpgを手に入れるという願望と矛盾しないやったね!さらに少年院でお勤め中のtdomさんだと思えばいいのでは?という気付きを得たのでわたしは大丈夫です。いや行ったのかどうかしらんけど。大丈夫大丈夫マインドなら丈夫。

別に推しに限った話ではないんですが、こういうときに必ず出るそんなんで降りるなんて本当のファンじゃない主張が嫌いです。生身の人間だけじゃなく二次元でもめちゃくちゃみました。顔ファンじゃない、演技が好きだと主張したいとして、もしそうなら仮に推しの演技が変化して、変化後の演技が好きじゃなかったら当然降りることになると思うんですけど、違うのかな。好きなものの好きなところが失われたら好きじゃなくなるの、当然じゃないですか。それでも好きでいるって余程のドMか、それとも親を人質にでも取られてるのかな…。もしどう変化しても一生好き!って即答できるとしたら、それこそ本当のファンじゃなくない?だってそれ「何でもいい」ってことじゃん!

などと心の狭いことを言いたくなるときは、最近見かけたこれを思い出すことにしました。これは効く。慢って絶対マウントを略して慢だな!

わたしは本当に好きなものに対しては相当粘着質なほうなんですけど、そもそもおたくなので軽率にこれ好き!ってなるものは結構多い。だけど一度好きだと思えたものをずっと好きでいるのって本当に難しい。途中からつまらなくなった、続編がどうしようもなかった、メディア展開が望んだものじゃなかった。もちろん原因は対象だけじゃなくて自分が変わったからというパターンもある。最後まで好きでいられた作品もあって、それは本当にいい出会いだったなあって思うけど、最後まで、っていうことはそう、終わっちゃってるんですよそれ。終わったらさみしいじゃん。ずっとわたしの好きなまま、ずっと続いててよ。だけど、そもそも人間には飽きるという機能が備わっているので、ずっと好きでいるためには変化が必要で、こと物語においてはその最大の変化が「終わる」ということなんじゃないかなって思う。ヅカが最初から終わりを組み込んでいるのもきっと同じことなんだろうな。
推しはフィクションではなく人間だし、素人が客観的にみても一生俳優でいてくれそう・いられそうではある。終わることを常に意識する必要もない(先に自分が終わるのと半々そうだ)これ好き!レベルでなく、本当にはまるとき、自分は沼じゃなく枯れ井戸って言ってるんですけどすこーーーんと一瞬で落ちるので早いんですけど、そういう吸引力のある枯れ井戸に出会えるペースは人より少ないし、年々好きだとか面白いとか感じることが難しくなってきて、ここまで生身の人間にはまれるのは推しが最初で最後だろうなーとは思う。そして、実を言うとわたしは昔の推しはそんなに好きじゃない。今が好きだからその延長で若い!かわいい!とは思うけど、顔つきも演技も今とは全然違ってて、正直好みからはずれる。今のすごい好きな部分と全然変わってないなってところもあるから、いいな、気になるなぐらいにはなったかもしれないけど、それでも今のレベルにはまれるのはどんなに早くても2年前の若頭補佐からだろうな。その2年でも変化はあって、めっちゃ好き!ってのもあればなんじゃこりゃってのもある。正直、めっちゃ好き!のタイミングで止まってくれたらいいのにって考えるときもある。でも人間は変わるし、変わらないとだめだ。そうでないと面白くない。相手も変わるし自分も変わる、変わり方によっては全然違う場所にいっちゃうかもしれない。だからこそ、それが重なったときにすごい幸せになれるんだと思います。


というようなことを考えていたら、2021年も俳優でいたいって話す推しの動画が公開されてました。あと3年とちょっとかー。絶対にその時も好きでいるとはわたしには言えないな。だけど、その時も好きでいれたらいいなって思うし、好きを全うできるお金と時間と体力があるといいなあと思う。後者の方が危なそう。こわい!

*1:ちなみにもうひとつは「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ」山本五十六